ERP運用のボトルネックは「通常処理」ではなく例外処理
ERP導入後の業務は、定型的なトランザクション処理だけで完結するとは限りません。請求金額の不一致、納品情報の不足、受注と出荷データの不整合など、処理の一部が例外として保留されると、担当者による調査と判断が必要になります。
大量のトランザクションを扱う企業では、この例外処理の積み重ねが業務遅延につながります。特にDirect Ship(直送)請求では、受注、仕入先からの出荷、顧客への請求といった複数の情報を突き合わせる必要があり、担当者が複数画面やシステムを確認しながら対応する場面が発生します。
今回紹介されたAccentureの取り組みは、このようなSAP S/4HANA上のDirect Ship請求業務における例外管理を、手作業中心の運用からエージェント主導の解決へ移行するものです。Amazon Bedrock、Amazon Bedrock AgentCore、Strands Agents SDK、AWS Lambda、Amazon RDS、AWS Step Functionsなどを組み合わせ、対話型のDigital Assistantからリアルタイムの業務データを参照し、解決策を推奨します。
展開から5週間で業務への適用に至った点も、この事例の重要なポイントです。ただし、短期間で導入できた理由を単純に「AIを導入したから」と捉えるのではなく、対象業務を限定し、既存ERPを置き換えず、例外処理に必要な判断とワークフローを段階的に自動化した点に注目すべきです。
想定されるシステムアーキテクチャ
ニュースで示されたサービス構成をもとにすると、実装の中心は次のような責務分離になります。
利用者
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Digital Assistant
│
▼
エージェント実行基盤
├─ 例外内容の分類
├─ 必要データの収集
├─ 解決策の推奨
└─ 承認・実行フローの呼び出し
│
├─ Amazon Bedrock / AgentCore
├─ Strands Agents SDK
├─ AWS Lambda
├─ Amazon RDS
└─ AWS Step Functions
│
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SAP S/4HANA
ここで重要なのは、生成AIにERP操作を直接任せるのではなく、推論、データ取得、業務処理、承認を分離することです。
Amazon Bedrockとエージェント実行基盤
Amazon Bedrockは、業務データをもとに例外の状況を要約したり、対応方針を候補として提示したりする推論部分に利用できます。Amazon Bedrock AgentCoreやStrands Agents SDKは、エージェントの実行やツール呼び出しを構成するレイヤーとして位置付けられます。
エージェントに与える役割は、例えば次のように限定すると設計しやすくなります。
- 請求例外の種類を分類する
- SAP S/4HANAから関連する受注・出荷・請求情報を取得する
- 不一致の原因候補を整理する
- 業務ルールに基づく解決策を推奨する
- 人間の承認が必要かどうかを判定する
- 承認済みの処理をワークフローへ引き渡す
一方で、金額変更や請求取消などの重要操作は、エージェントの自然言語出力をそのまま実行コマンドに変換しないことが重要です。許可された操作を明示的なツールとして定義し、入力値の検証と権限確認を通過した場合だけ実行できる構造にします。
Lambda、RDS、Step Functionsの役割
AWS Lambdaは、SAP連携、データ整形、業務ルールの呼び出しなど、比較的小さな処理単位を実装する候補になります。エージェントがツールを呼び出す際にも、Lambdaを境界として設けることで、モデルの出力と基幹システムへのアクセスを切り離せます。
Amazon RDSは、例外案件の状態、処理履歴、補助的な業務データなどを管理する用途が考えられます。ERPを検索するたびに同じ処理を繰り返すのではなく、案件単位で取得した情報や判定結果を管理することで、再処理や監査にも対応しやすくなります。
AWS Step Functionsは、例外処理の状態遷移を明示する役割に適しています。例えば、次のような状態をワークフローとして定義できます。
- 例外案件を受け付ける
- 関連するSAPデータを取得する
- データの整合性を検証する
- エージェントが原因と対応候補を提示する
- 自動処理または人間による承認に分岐する
- SAPへの更新処理を実行する
- 結果と処理履歴を記録する
- 失敗時に再試行または担当者へエスカレーションする
このように、エージェントは判断支援を担い、ワークフローエンジンは処理の順序と状態を担うという分担にすると、処理の再現性と可観測性を確保しやすくなります。
AIエージェントは一つに集約しない
ERPの例外処理では、すべての判断を一つの汎用エージェントに集約するより、役割を分割した方が運用しやすくなります。例えば、以下のような構成が考えられます。
- トリアージエージェント: 例外の分類と優先順位付けを行う
- データ調査エージェント: 受注、出荷、請求などの関連データを収集する
- 業務ルールエージェント: 不一致の原因と対応候補を整理する
- 実行エージェント: 承認済みの操作だけを実行する
- 監査エージェント: 入力、判断、承認、実行結果を記録する
役割分担には、誤処理の影響範囲を抑えられる利点があります。調査を担当するエージェントに更新権限を与えなければ、誤った推論が直ちにERPのデータ変更へつながることを防げます。
人間による確認ポイントを設計する
「自律化」は、人間を完全に排除することではありません。業務影響が大きい操作や、判断材料が不足しているケースでは、人間による確認をワークフローの一部として設計する必要があります。
人間の承認を必須にする候補には、次のようなものがあります。
- 請求金額の変更
- 請求の取消や再発行
- 顧客または仕入先マスタに関わる変更
- 業務ルールに該当しない新しい例外
- 取得データに不整合や欠損があるケース
- 高額取引や重要顧客に関わるケース
承認画面では、AIの結論だけでなく、根拠となるデータと実行予定の操作を提示することが重要です。最低限、次の情報を確認できるようにします。
- 対象となる受注、出荷、請求の識別子
- 不一致が発生した項目
- 参照したデータの取得時点
- AIが推奨する対応
- 対応によって変更される項目
- 推奨の信頼度や適用した業務ルール
- 承認者と承認日時
権限管理と監査性はAI導入前から設計する
ERPとAIを接続する場合、最も注意すべき点の一つが権限です。エージェントに広範なSAP権限を与えると、プロンプトの誤解釈や実装上の不備が、基幹データの変更に直結する可能性があります。
実装では、次のような原則が有効です。
- 読み取り権限と更新権限を分離する
- 業務操作ごとに許可されたツールを定義する
- ツールの引数をスキーマ検証する
- 金額や対象組織などの上限を設ける
- 承認者の権限と対象データを照合する
- エージェントの入力、出力、ツール呼び出しを記録する
- 冪等性を考慮し、同じ案件の二重実行を防止する
- 失敗時にロールバックまたは再処理できる状態を保持する
監査ログには、最終結果だけでなく、どのデータを参照し、どのツールを呼び出し、誰が承認したかを残します。これにより、処理の説明責任だけでなく、誤判定の分析やプロンプト・業務ルールの改善にも活用できます。
5週間での展開から学べる導入アプローチ
今回の事例では、展開から5週間で業務上の効果が得られたとされています。すべてのERP業務を短期間で自動化したという意味ではなく、対象をDirect Ship請求の例外管理に絞り、既存のSAP S/4HANAを活用しながら導入したことが、短期展開を可能にした要因と考えられます。
短期導入を目指す場合は、次の順序が現実的です。
- 例外件数、処理時間、滞留時間、再処理率を計測する
- 頻度が高く、判断パターンが比較的明確な例外を選ぶ
- SAPから取得するデータ項目と業務ルールを定義する
- 読み取り専用のDigital Assistantから始める
- 推奨結果を担当者が確認する運用を行う
- 精度、処理時間、エスカレーション率を評価する
- 承認付きの限定的な更新処理へ拡張する
特に、最初から自動更新を目標にするのではなく、調査時間の短縮と判断材料の整理を先行させることが重要です。人間が行っていた情報収集を自動化するだけでも、担当者の負荷や案件の滞留を減らせる可能性があります。
精度だけでは測れない実運用上の課題
ERP向けAIエージェントでは、一般的なチャットボットの回答精度だけでは十分な評価になりません。業務に適用するには、次の観点を組み合わせて評価する必要があります。
- 正しい例外分類ができた割合
- 推奨された対応が業務ルールに適合した割合
- 人間の確認に要した時間
- 自動処理後の差し戻し率
- 二重処理や誤更新の発生件数
- 1案件あたりの処理コスト
- 監査に必要な証跡が残っている割合
- データ取得や外部サービス障害時の復旧性
また、ERPデータには顧客、価格、取引条件などの機微情報が含まれる場合があります。利用するモデルやサービスのデータ取り扱い、アクセス経路、暗号化、ログの保管場所、保持期間などを、企業のセキュリティ基準と照合して設計する必要があります。
請求業務以外への応用
Direct Ship請求で確立したパターンは、例外の発生、複数データの照合、業務ルールに基づく判断、承認後の更新という構造を持つ他の業務にも応用できます。
- 受注ブロックの原因調査
- 入荷数量や納品情報の不一致対応
- 仕入先請求書の照合例外
- 与信や支払条件に関する確認
- 在庫差異の調査
- マスタデータ変更申請の事前チェック
- 未処理伝票の優先順位付け
ただし、業務ごとにデータモデル、権限、承認者、許容される自動化範囲は異なります。請求業務で有効だったエージェントをそのまま横展開するのではなく、共通基盤と業務固有のルールを分離することが、長期運用の鍵になります。
エンジニアが押さえるべき結論
この事例の価値は、生成AIをERPの前面に置いたことだけではありません。SAP S/4HANAを業務データの基盤として維持しつつ、AWS上のエージェント、関数、データストア、ワークフローを組み合わせ、例外処理を一つの運用単位として再設計した点にあります。
実装で重視すべきポイントは次の通りです。
- エージェントの役割と権限を小さく分ける
- ERPへのアクセスを明示的なツール境界で制御する
- 状態遷移と再試行をワークフローとして管理する
- 自動実行と人間の承認を業務リスクに応じて分ける
- 推論結果だけでなく、根拠と操作履歴を監査可能にする
- まずは対象業務を限定し、処理時間と誤処理率で効果を測る
ERPのAI活用で現実的な第一歩になるのは、基幹システム全体を置き換えることではありません。担当者が時間を費やしている例外処理を特定し、データ収集、原因整理、承認フローの一部から自動化することです。エージェントを「何でも実行するAI」ではなく、業務プロセスの中で制御された判断と実行を担うコンポーネントとして設計できるかどうかが、導入効果と安全性を左右します。
出典: AWS公式ブログ

